30倍楽しむアイディア集
【〜 私塾を作ろう 〜】
私塾が人を作る【副題:人材を磨く手
づく
り教育のすすめ】
大西 啓義著・ダイヤモンド社・1600円+税
第一章:江戸私塾の人づくり(教
育)を見直す
- 寺子屋はマンツーマン型の全人教育
・・江戸
私塾(寺子屋)では、先生と生徒が膝を突き合わ
せるような教育が行われていた。詩文・経書な
どを教える漢学塾をはじめ、算学、西洋医学、
兵学(軍事)、また少数ながら仏教、礼法、絵
画、裁縫、音楽、倫理、法律などの関係の塾も
あり、幅広い専門分野の教育が行われていた。
しかし教える分野が違っても、それぞれの学問
や知識を学ぶことを通して、人格を形成し、人
間性を高めていくことが、教育の基調にあっ
た。いや学ぶ事の究極の目的はそこにあると考
えていた。
いわば人間教育こそめざす
方向だったのである。だから、道徳ら礼儀作法について
も厳しく指導した。徳育を重視し、奉仕の精神
や“世のため人のため”という
利他の心を植え
つけるような教育を実践した。
- 緒方洪庵「適塾」の言葉・・適塾はその名のよう
に、学んでいる者たちが、己に潜んでいる能力を開
発する場だ。
互いに切磋琢磨し合って、磨
き合う場だ。だから、この塾は、就職の世話はしない。→現
在では受験技術を教える場と化している。
- 個性ある教育者が個性ある教育をした。・・教育の本質は、各人の持つ素質と個性を十分に伸
ばしてやることである。・・例吉田松陰は「人
を育てつつ、自分も育てる」
- 枝葉(ハウツーを詰め込む枝葉教育)でなく、
幹「根っこを育てる」の教育こそ必要・・一番
重要なのは人間が生きていくときに「何を
規範に生きていくか」
- 21世紀を担うのは「自立型人間」だ・・横並
び人間でなく自立型→戦後「同種平等」主義で
ありこれを「異種平等」という考え方こそ大切
【西澤先生の言葉:光ファイバーの研究者、
元、東北大学学長】
【現代の「ものさし」=「効率・経済性」一辺倒
の価値観からは「心の教育」が生まれないのは当
然だろう】
第二章:松下村塾における変革
の人づくり・・
「駄馬を名馬に変えた吉田松陰の人づくりの秘訣」
- 長所を見極め、潜在能力を引き出す・・各人の
潜在する能力を、見極めて、それを伸ばす教育
を行った。そして、それぞれ個人によって
指導方法が異なった。
- 松陰は、根っからの性善説者だった。→孟子の
説いた【“忍びざるの心”】「他人の苦しみ
や、悲しみを見るに忍びない心」を信じてい
た。
第三章:新時代への足音
・・・
「蘭学塾で学んだ逸材たち」
- 飢饉見舞いの米百俵で藩校を立てた長岡藩・・
「米百俵を平等に分けても食べたらおしまいです。こ
うなったのも人材がいなかったせい。
ここは、苦しさ
に耐えて、米を基金に藩校をつくったらどうでしよ
う」と小林虎三郎が、一人反対→この意見は採用さ
れ、学校を作ることができえた。【貧乏しても武士と
して矜持の精神は少しも失われていなかった】
第四章:適塾に学ぶ能力開発の
秘訣・・
「緒方洪庵が行った全人教育徹底的な語学教育を行った」
- 「適塾」→(後に適塾は大阪大学・医学部の母
体)・・洪庵は医者であったから医学を教えたがむ
しろオランダ語を教えた→新し
い時代にはばたくこ
とができる人材を育てたかったのではないか。
(門下生:大村益次郎(軍略家としての才能を発揮)、
橋本佐内(越前藩:藩校「明道館」の改革)、福沢
諭吉、等の俊才がいた。
- 適塾では、塾生をいくつかのランクに
分ける等級制を採用→(きわめて近代的、合理的なやり
か
た)
→実力の判定は、会読によっ
て行われた。(会読:
翻訳して読んだところを翻訳し、皆で討議するやり
かた)→ごく短時間に原書を読みこなす語学力を
培った俊英たちは、いろいろな分野(工業、軍事技
術、砲術、造船、製鉄、海防など)にわたって西洋
の知識を吸収し、西欧の技術や文化をわが国に紹介
し実に大きな役割を果たした。
【真の学力をつけるための競争であり、切
磋琢磨であった】
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