桃太郎と夫婦家族論(1) 第9回目は「家族の重要性」を説く 女性の母性を表す「桃」の解説か ら始めましょう。 桃太郎物語は単に、鬼退治が主体ではありません。 実は大正4年に出版された、巌谷小波著「桃太郎主義の教育新論」 の中に、桃太郎と家族の関係を次のとおり述べている。 ◆偉い人物 おおかたの人の親は、その子をしつける方針を、ただおとなしくとい うにとどめておく。そして腕白もの、あばれものを、大なる罪悪である かのように叱りもし、懲らしめもする。なるほど自分が大人であるか ら、子供までも大人らしくしたいのは無理もない注文であろう。しかし それは子供にとってははなはだ迷惑なことである。 また、教育に熱心なのをもってひそかに誇りとする父兄のごときも、 その子弟の監督をするのに、ひたすら学課の復習を強いるばかり で、ほかの活きた社会教育にはほとんど意を傾けようともしない。そ んなふうにして教育された子供は、なるほど操行は甲の上であろう。 学課のあるいは優等であろう。しかしそれが大人になって、果たして どれほどの役にたつか? とにもかくにも今日の教育は,、学校でも家庭でも、おとなしい子は つくっても、強い子はつくろうとしない。それでせいぜい出来上がった ものは、賢い人間であるかもしれない。しかし偉い人物は、そんなこと ではできるものでない。 ◆無名の師(鬼退治) せっかく育てた子供を、そんな遠い、恐ろしいところへ、どうして放し てやられようとは、普通一般の人情だ。そうでもなくても一人っ子であ れば放しかねて、洋行したいの、出京したいのといっても、まあそんな とこへ行かずとも修行は家にいてもできるでないか、と止めたがるの が親の情だ。 ところがこの爺さん、ばあさんは、すでに話のはじめより年をとって いるが、けっしてそんな因循なことは言わない。かえって桃太郎の意 を快く許した上に、なお自分たちが手を下して弁当までこしらえて与え た。なんと見上げた親達であろう。 爺さんは杵の役、婆さんは臼の番、皺腕によりをかけて、見事につ きあげたキビだんご、たとえそれは粗末なものでも、二人の慈悲のこ もっているところは他の山海の珍味の比ではない。さればこそ、桃太 郎がこれに日本一の銘打ったのも、実にさもあるべきことだ。 なおここで考えるべきことは、とくに二人が心をこめて、自ら弁当を つくってやったことだ。 |