インターネット講座 -(2)-
「いっぷく」コーナー
愛知県犬山市の桃太郎伝説を
たずねて
「桃太郎」は日本を代表する昔話として、いつの時代にも高い人気を
誇っ
てきました。ところがライバルの「金太郎」や「牛若丸」が明確なモデ
ルや
舞台背景を持つのに対して、その実像はいまひとつはっきりしないと
ころ
があります。このため日本には伝説の残る土地が20ヶ所以上あると
い
われていますが、ここ犬山は有力な伝承地として根拠となる地名や
者が
多く残されています。なつかしい昔話を思い出しながら、夢とロマンに
触
れてみませんか。
◆鬼が島(おにがしま)−桃太郎神社
から鬼門(北東)
の方角へ8km山を越えたところ
の可児川の中にある。昔、この島に悪者が住みつき付近を荒らしま
わっ
ていた。
◆古屋敷(ふるやしき)−桃太郎を育て
たおじいさん、おばあさんの家のあったところで、桃太郎屋敷ともいっ
ている。
◆乳母の懐(うばのふところ)−鬼が島
近くの土田(どた)村から逃げ
てきた女の人たちが乳飲み子を懐に抱いて隠れていた山の中の洞。
◆犬山(いぬやま)−桃太郎のお供をし
たイヌ・サル・キジの住んでい
たところ。
◆猿洞(さるぼら)・雉ヶ棚(きじがたな)
−自然を友として育った桃太
郎はこういうところに住む動物たちを日頃から可愛がっていたので鬼
征伐にもついていった。
◆敵隠れ(てきがくれ)−人を襲う鬼た
ちが隠れて待ち伏せしていた
岩場。
◆取組(とりくみ)−岩陰から突然あら
われた鬼と桃太郎が取っ組み
合いをして戦った所で後に取組村となった。
◆助の山(すけのやま)−山仕事をして
いた村人たちが、このようすを
山の上から見付け、助太刀に駆けつけたというので助の山と呼ぶよう
になった。
◆猿噛城址(さるかみじょうし)−このあ
たりでサルが噛み付いて戦っ
たという昔話を後世の城主が城の名にして伝えたという、その城址が
残っている。
◆勝山(かつやま)−戦に勝った一同
が勝鬨(かちどき)をあげた山の
麓が勝山村になった。
◆今渡(いまわたり)−桃太郎たちが
乗った船が今、川を渡った
ぞッ!と見張りの鬼が仲間に知らせたところが今渡村になった。
◆酒倉(さかぐら)・坂祝(さかほぎ)−
鬼を退治をして無事帰ってきた
桃太郎を迎えた村人たちは酒倉を開いて大喜びで祝った。酒倉の
あったところが酒倉村、祝宴を開いたところが坂祝村になった。
◆宝積寺(ほうしゃくじ)−鬼が島から
持ち帰った宝物をこの地に積み
上げて置いたので人々が見物にきては桃太郎を讃えたという。後に
勝山宝積寺という寺もできたので宝積寺村になった。
◆春里(はるさと)−鬼がいなくなって
からは春のようなのどかな日が
続くので鬼が島の近くには春里村ができた。
◆桃山(ももやま)−桃太郎がこの山に
姿をかくしてから桃の形に見
えるようになったという。(桃太郎神社から北へ0.5kmのところにある)
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犬山城の屋根に桃??
桃はありがた〜い魔よけ
犬山城の屋根には、桃をかたどった瓦が数ヶ所乗せられています。こ
の
桃瓦は、築城当時、伊吹おろしの風が舞うので、城を守るために鬼瓦に
魔よけの桃をつけたといわれています。その他、神社や民家などにも、
魔よけのために桃をデザインした瓦が乗せられています。
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「桃」が持っている
神秘の
力
中国では、古くから桃が「千果(せんか)」、すなわち神仙のための
貴い
果実と位置付けられていたようです。たとえば3000年に一度だけ実
をつ
ける桃を、西王母(せいおうぼ)(崑崙山に住むとされる女仙)が漢の武
帝
に食べさせたという説話もあります。
その影響か、日本では魔よけの力がある果実として解釈されていま
す。『古事記』や『日本書紀』では、黄泉の国から逃げて帰るイザナギ
ノミ
コトが黄泉軍に桃を3個投げて撃退したという場面が登場します。つ
まり
邪悪なものを桃の力で追い払うというわけです。
さらに桃には、その姿形の艶かしさから、古くから出産、豊穣のイ
メー
ジもありました。桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返って桃太
郎を
生んだという設定は、このことに由来するようです。
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桃形の鳥居(桃太郎神社)
これをくぐれば悪は去る(猿)、病は居ぬ(犬)、災いは来じ(雉)のだとい
う。
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