インターネット講座 -(2)-
桃太郎と民俗学(3)


福沢諭吉の論説 〜鬼の宝奪った“盗っ人”〜


 世の中に桃太郎の研究をしている人はたくさんいる。歴史学・民俗 学 として研究している人、教育訓練としての桃太郎の研究、童話家とし ての研究など多岐にわたる。

 これら研究家は興味本位というよりも、教訓的な要素を取り出しこ れ を高揚して子供達の教導に役立てることを主眼としている。桃太郎の 研究者たちは、日本庶民の素朴で誇り高き文学作品をあらゆる角度 から解明し、日本の源流を探り、人類の幸福の原理を発見しようと試 みているのである。

 今回から、桃太郎の研究者のうち、明治・大正・昭和の著名人につ い て紹介したい。福沢諭吉(1835-1901年)は、教育家、啓もう思想家、 慶應義塾の創立者である。万延元年、幕府遣米使節に随行して渡 米。その後西欧諸国を視察、「西洋事情」を著し維新後の国民の啓も うに尽力した。

 明治4(1871)年、「ひびのをしへ」という著書の中で「桃太郎盗人 論」 を展開している。

 桃太郎は昔話の英雄で、子供たちはみな桃太郎のように強い人に な りたいと思っていた。しかし、福沢諭吉は、桃田太郎崇拝の心を逆手 にとって、理由もなく人の物(鬼の宝物)を奪うことの非を語ったので ある。

 著書「ひびのをしへ」のくだりを紹介すると、「桃太郎が鬼が島ゆき し は、宝を取りにゆくといへり。けしからぬことならずや。宝は鬼の大事 にして、しまいおきしものにて、宝の主は鬼なり。主ある宝をわけもな く取りにゆくとは、桃太郎は盗人とも言うべき悪ものなり。もしまたそ の鬼が、いったいわろきものにて、世の中の妨げをなせしことあらば、 桃太郎の勇気にてこれを凝らしむるは、はなはだ良きことなれど、宝 を取りて家に帰り、おじいさんとお婆さんにあげたとは、ただ欲のため の仕事にて、卑怯千万なり」(原文は全部ひらがな)

 江戸時代の赤本や豆本、明治初期の桃太郎話には鬼退治の理由 付けがなかったため、福沢諭吉はあえてこの表現を使ったのだとも 言われている。

 そういう諭吉は、まるで桃太郎のように、海の向こうに行き、「近代精 神といった宝物」を持って来るから面白い。


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